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第1章 「四角家餃子本舗」と新「珍包(ちんぱお)」の誕生。 [四角餃子開発物語]

大阪で「珍包」が売れている頃、
脱サラして新たな野望をいだいていたドン・タニシ。
ある日、大阪の店を訪ねた。何を隠そうドン・タニシとたかちゃんは従兄なのである。
そこで初めて「珍包」と出会い、衝撃を受ける。
「何、この形。おもしろいやない」
しかもうまい。この餃子はうまい。さらに言うなら、冷めてもうまかった。

感動覚めやらぬまま、翌年、香川の田舎で自分の店を出す。
カフェだった。なんでやねん!?
ここで昔、会社の部下だったキマコさんを引き入れる。
田舎町に新しい文化を吹き込みたいと作ったカフェ。
当時、そのあたりにカフェはなく、はじめこそ地元の人に遠巻きに見られていたが、
最後には遠くからもファンが車でやってくる店になった。
車を飛ばして街から来てくれるお客様に「ピンポイントアーバン」と言わしめたその店で、
ドン・タニシ、オムライスやパンケーキとともに、なんと「珍包」を提供していた。
カフェで餃子と言えばミスマッチのようだが、「珍包」だからこそカフェでも提供できたのだ。
普通の餃子ならさすがに出せなかったろうし、出そうとも思わなかっただろう。
ここでも「珍包」は固定ファンをつかまえた。

そんな折、大阪では、なんとたかちゃん、思うところあり、「珍包」の店をたたみ、
新たな店などを経営しながら他社へ商品提供やフードコンサルティングの仕事をしていた。

それを知ったドン・タニシ、残念でならない。
会社が充実していくことはいいことだけれど、どうしても「珍包」の存在が頭から離れなかった
ドン・タニシはついに意を決する。

ドン・タニシの野望。
珍包焼き面250.jpg珍包断面250.jpg

「餃子専門店をやるぞ」
美味でしかもオリジナリティあふれる「珍包」を、このまま埋もれさせるわけにはいかなかった。
そこからドン・タニシの餃子修行が始まるのである。
カフェを営業しながら、厨房では餃子の試作が行われていたのであった。

四角い餃子を売りにしたいから、店の名前は「四角家餃子本舗」に決定。
それからは他県に行っては有名な餃子を食べ歩き、取り寄せてみた。
「珍包」をさらにパワーアップさせるために、豚肉はどうする、キャベツの大きさは、
肉と野菜の比率は・・・など、たかちゃん、ドン・タニシ、キマコさんの試行錯誤がはじまった。
だいたい、ドン・タニシとキマコさんがイメージや希望を伝えて、
料理のプロであるたかちゃんが形にしていく。

豚肉は鹿児島の南州農場の上質なバラ肉に決定、キャベツについてはできるだけ香川産。
というのも香川は四季がはっきりしていて、
どの農作物にも言えるのだけれど旬の期間が案外短いのだ。
1年中香川産というのは不可能。地元産が手に入らない時期や、
状態があまり良くない場合はその時期に状態のいい地域のものを仕入れている。
「四角家」が地産地消に固執しないのはそのためだ。
皮は以前、香川で粉屋さんをしていた大阪の専門業者さんに発注。
できるだけ薄く、焼けてパリッと、蒸らすとふんわりした皮。
包んだ時に美しく、口にも入れやすい8㎝×8㎝の皮だ。

何度も何度も試作して、「四角家」の「珍包」が完成した。

●次回、「福包」の誕生。
タグ:珍包
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